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CASE-051 ― 妖怪・怪異

化け猫

長年飼われた猫が化けるという全国的な俗信と、「鍋島の化け猫騒動」をはじめとする物語群。最も身近な動物の怪異として、江戸時代に全盛期を迎えた。

01 ― 概要

地域全国各地
起源文献に怪異視の記録が見えるのは鎌倉時代(13世紀)以降
拡散の経路説話・随筆 / 歌舞伎・講談 / 映画
現況猫の怪異の代表格として定着。猫又との混同を含め、漫画や映画の題材としても使われ続けている
来歴の確かさ単一の初出はないが、鎌倉時代の説話集から江戸時代の随筆・怪談集まで、文献の連なりとして追うことができる。代表的な「鍋島の化け猫騒動」は、実在の政権交代を背景に持つ物語として成立したもので、物語の出来事自体は史実としては扱えない
テーマ老猫、祟り、政変、屋内
関連する話天狗 / 河童 / 件(くだん)

02伝承の内容

化け猫は、猫が年を経て妖怪に変化したものとされる。何年飼えば化けるかは土地ごとに決まっていて、茨城県や長野県では12年、沖縄県国頭郡では13年飼った猫が化けるといい、広島県山県郡では7年以上飼った猫は飼い主を殺すとまでいわれた。飼い始めに飼う年数を約束しておく地方も多く、「老いた猫は化ける」が全国的な前提だった。

化け猫の怪異は幅広い。人間の言葉を話す、人に化ける、手拭をかぶって踊る、行灯の油を舐める、人を祟る、死人を操る。百科事典『和漢三才図会』(1712年)には、猫が油を舐めるのは怪異の兆候とある。当時の灯油は安価な魚油が主で、栄養の乏しい食事の猫が油を欲し、行灯に向かって二本足で立つ姿が人影のように見えたことが一因と指摘されている。

最も有名な物語が佐賀の「鍋島の化け猫騒動」である。藩主・鍋島光茂の碁の相手を務めた臣下・龍造寺又七郎が、藩主の機嫌を損ねて斬られ、その母が愛猫に無念を語って自害する。母の血を舐めた猫が化け猫となり城に現れて毎夜光茂を苦しめるが、忠臣・小森半左衛門に退治され、鍋島家は救われる。肥前の実権が龍造寺氏から鍋島氏へ移った政変の記憶を、猫の祟りに置き換えた物語とみられている。

よく似た猫又としばしば混同される。もとの言い伝えでは、尾が二つに分かれるほど年を経たものが猫又で、化け猫は「猫が変化したもの」の総称に近い。ただ実際の伝承や作品では、区別は曖昧に運用されてきた。嘉永期の歌舞伎、昭和初期の映画ブームを経て、化け猫は日本の猫の怪異の代表として定着している。

03伝播と変遷

13世紀(鎌倉時代)
説話集『古今著聞集』に、奇妙な行動を取るネコを魔の変化したものと疑う記述が見える。ネコの怪異視の文献上の早い例で、この頃の話には寺院で飼われたネコにまつわるものが多い。
1712年
『和漢三才図会』に、ネコが行灯の油を舐めるのは怪異の兆候だと記される。
江戸時代
『耳嚢』『甲子夜話』などの随筆・怪談集に、言葉を話すネコ、踊るネコ、人に化けるネコの話が多数採録され、化け猫談の全盛期となる。『耳嚢』には、どのネコも10年生きれば言葉を話せるようになる、という記述もある。
嘉永年間(1848〜1854年)
鍋島の化け猫騒動が歌舞伎『花嵯峨野猫魔碑史』として江戸・中村座で上演され、大人気となる。鍋島藩からの苦情で上演は中止されるが、そのことがかえって巷説の知名度を高めた。
1909年(明治42年)
東京・本所の長屋でネコが踊り出したという記事が、『報知新聞』『萬朝報』『やまと新聞』に掲載される。
1930年代(昭和初期)
『佐賀怪猫伝』『有馬猫』などの化け猫映画が人気を博し、化け猫役を多く演じた入江たか子、鈴木澄子らが「化け猫女優」として知られる。

バリエーション

お松大権現(徳島・阿南)江戸前期、庄屋の妻お松は不当な裁きへの直訴の罪で処刑され、その飼い猫(三毛猫)が化けて富豪や奉行の家を滅ぼしたという。今ではお松を祀る神社として残り、直訴で悪を倒した物語から、勝負事や合格祈願の参拝でも知られる。「三大猫騒動」の数え方では、岡崎の代わりにここを入れる場合がある。
有馬の猫騒動と岡崎の猫鍋島と並ぶ「三大猫騒動」の残り。有馬の話は江戸・久留米藩有馬家の屋敷にまつわる騒動で、東京・三田には「猫塚」が残る。岡崎の猫は鶴屋南北の歌舞伎『独道中五十三駅』の創作がもとで、実在の事件に基づく鍋島・有馬とは出発点が異なる。
猫又との混同型尾が二股に分かれた猫の姿で描かれる化け猫像。与謝蕪村の『蕪村妖怪絵巻』の化け猫は尾が1本で描かれており、絵画の段階では区別が意識されていたが、後世の図鑑や作品では両者が入り混じって流通した。

04確認できること・できないこと

確認できる事実

  • 鎌倉時代の説話集『古今著聞集』に、奇妙な行動を取るネコを「魔の変化ではないか」と疑う記述があり、ネコの怪異視が中世に遡ること
  • 『和漢三才図会』(1712年)に、ネコが行灯の油を舐めることを怪異の兆候とする記述があること
  • 鍋島騒動が、龍造寺氏から鍋島氏への実権移行という実在の出来事を背景に持つ物語として成立し、嘉永年間に歌舞伎として上演されたこと
  • 1909年(明治42年)に、東京・本所で「ネコが踊った」という記事が複数の新聞に掲載されたこと

確認できない部分

  • 化け猫という妖怪の実在そのもの(各地の怪異談はいずれも伝聞の形で残る)
  • 鍋島騒動の物語通りの出来事が実際に起きたかどうか(記録は物語としての形でのみ残り、史実の政変部分と切り分ける必要がある)
  • 猫又と化け猫の厳密な境界(研究資料自体が、両者の区別は曖昧だと認めている)

後付けとみられる脚色

  • 「尾が二つに分かれる」という外見の特徴は、本来は猫又のものだが、近代以降の図像や作品では化け猫にもしばしば付与された
  • 昭和初期の映画で繰り返し演じられた「老婆に化ける化け猫」の視覚的な型は、映画産業が増幅したイメージである
  • 鍋島騒動の細部(側室に化けて忍び込む場面など)は、講談『佐賀の夜桜』や実録『佐賀怪猫伝』など版ごとに異なる脚色を含む

05AI分析

社会的背景最も身近で、最も制御できない動物

化け猫の前提には、猫という動物の位置がある。鼠害から書物や穀物を守る益獣として寺院や商家に欠かせなかった一方、夜行性で目が光り、瞳の形が時刻で変わり、足音もなく近づく。最も身近にいながら、最も制御のきかない動物だった。都市化の進んだ江戸時代には、野生動物の怪異の多くが猫の怪異へ集約されていったという解釈もある。老猫に年限を設ける言い伝えは、恐れであると同時に、飼う側の別れの作法でもあった。

科学的視点説明できるのは「見える条件」のほう

現象の側には、説明の材料が比較的そろっている。行灯の魚油を舐める行動は当時の猫の栄養状態から、言葉を話すように聞こえる現象は鳴き声と聞き手の思い込みから、踊る姿は布へのじゃれつきの誤認から、それぞれ無理なく説明できる。1992年には、猫が人の言葉を喋ったように聞こえた事例が、鳴き声の聞き違いとして新聞で検証されてもいる。怪異の実在は確認できないが、「猫の普通の行動が怪異に見える条件」のほうは具体的に検証できる。

なぜ広まったのか政変の記憶を運ぶ物語の強さ

伝播の中心は物語の強さである。鍋島騒動は、実在の政権交代という骨格に、母の自害と猫の復讐という情念の筋を載せたため、講談・歌舞伎・実録本と媒体を変えながら生き残った。嘉永期の歌舞伎は鍋島藩の苦情で中止になったが、権力が止めようとしたこと自体が話の信用を高め、知名度を上げた。昭和初期には映画が「化け猫女優」というスター像まで生んでいる。媒体が変わるたびに、話はその時代の観客の不安に合わせて姿を調整してきた。

横断比較屋内に棲む怪という性格

河童や天狗のような自然や山野の怪と違い、化け猫は屋内に棲む怪である。舞台が藩の奥向きや長屋といった人の生活空間そのものなので、物語は政変や家内の不和といった人間側の事情を色濃く映す。件(くだん)のような予言獣とも、動物の怪でありながら「未来」ではなく「過去の怨み」を担う点で対照的である。人面瘡が因果を人の体に刻む怪だとすれば、化け猫は因果を家の中に持ち込む怪といえる。

06出典・参考文献

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