アマビエ
1846年の瓦版に一度だけ現れた、海から予言を告げる妖怪。「疫病が流行したら私の絵を見せよ」という言葉の通り、2020年の新型コロナ流行下でSNSを通じて爆発的に描き直され、疫病退散の象徴になった。
01 ― 概要
02伝承の内容
弘化3年(1846年)の瓦版が、アマビエの唯一の近世史料である。肥後国(現在の熊本県)の海に夜ごと光るものが現れたため、役人が確かめに行くと、「私は海に住むアマビエである」と名乗る者が姿を見せた。当年より6年の間は諸国で豊作が続く、しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に見せよ。そう告げて、アマビエは海へ帰って行ったという。
瓦版に描かれた姿は、地面に届くほどの長い髪を持ち、体は鱗に覆われ、口は鳥のようなくちばしで、足は3本あった。本文には絵の説明はなく「図の如く」とだけ記され、役人がその場で写した絵が江戸へ送られた写しだと説明されている。アマビエは予言を告げるだけで、疫病を鎮めるとは言っていない点も、後世の受け止め方とはずれている。
この瓦版のほかに、アマビエの記録は確認されていない。一方、海から現れて豊作と疫病を予言し、絵を見せれば除災になるという内容がほぼ同じ妖怪「アマビコ」の資料は複数残っている。そのため湯本豪一は1999年、アマビエはアマビコの誤記ではないかと指摘した。似た予言獣は件や白澤など数多く、アマビエはその末席にあった。
忘れられたはずの妖怪が表舞台に戻ったのは2020年である。新型コロナの流行のなか、2月末に妖怪掛け軸の専門店がSNSでアマビエを紹介すると、瓦版の指示そのままに、描く人と見せる人が連鎖して拡散した。厚生労働省が啓発のアイコンに採用し、菓子や酒、御朱印にまで姿が使われ、史料1枚の妖怪は疫病退散の象徴として定着した。
03伝播と変遷
バリエーション
04確認できること・できないこと
確認できる事実
- 弘化3年(1846年)4月中旬と記された瓦版が現存し(京都大学附属図書館所蔵)、アマビエの近世史料はこの1種類のみであること
- アマビコと呼ばれる類似の予言獣の資料が複数存在し、アマビエはその誤記ではないかという説が1999年に湯本豪一によって示されたこと
- 2020年2月末のSNS投稿を起点にアマビエを描く動きが爆発的に広がり、3月にはツイート数が1日数万件規模に達したこと
- 2020年4月から厚生労働省がアマビエのイラストを感染拡大防止の啓発アイコンに採用し、接触確認アプリCOCOAの起動画面にも使われたこと
確認できない部分
- 1846年に肥後の海で実際に何らかの出来事や目撃があったのかどうか。瓦版以外に裏づけはない
- 「アマビエ」という名がアマビコの誤記なのか、意図的な改名なのか、それとも独立した呼び名だったのか
- 瓦版の絵が役人の実見に基づくのか、版元が売るために整えた図像なのか
後付けとみられる脚色
- 「疫病を退散させる妖怪」という性格づけは2020年の再解釈が強めたもので、瓦版のアマビエは疫病の流行を予言し絵を見せるよう求めただけで、退散を約束してはいない
- かわいらしいキャラクターとしての姿は、2020年の創作と水木しげるの図鑑画を通じて定着したもので、瓦版の絵はより素朴で異様な人魚に近い
- 熊本の古い民間伝承であるかのような語られ方をされることがあるが、熊本に口承の伝承が伝わってきた事実は確認されていない
05AI分析
社会的背景不安な時代が予言獣を必要とする
アマビコやアマビエのような予言獣の瓦版が量産された江戸後期は、飢饉と疫病が繰り返し社会を襲った時代である。災いの到来をあらかじめ告げ、絵を見るという簡単な対処を示す物語は、為す術の乏しい人々にとって、情報を買う行為そのものが安心の購入だった。2020年も構造は同じで、感染の見通しが立たない不安のなかで、「描いて見せる」という誰にでもできる行為が、不安への対処として受け入れられた。時代を超えて、予言獣は不安の受け皿として呼び出される。
科学的視点護符の効果と史料の薄さを読む
絵を見せることで疫病が退散するという効能自体は、科学的には支持できない。ただし、啓発アイコンとして人々が対策情報に触れる機会を増やしたり、描く行為が自粛生活の気晴らしや連帯感を生んだりした効果は、心理・行動の面から説明できる。また史料の面では、近世の記録が瓦版1枚のみで口承の裏づけもないという薄さ自体が重要な事実で、アマビエを「古来の民間信仰」と呼ぶことへの歯止めになる。確かさの程度をそのまま記録することが、この件の科学的態度である。
なぜ広まったのか指示がそのまま拡散の仕組みになった
アマビエの拡散が速かった最大の理由は、瓦版の文言自体が拡散の設計図だったことにある。「私の姿を描き写した絵を人々に見せよ」という指示は、SNS時代には「描いて投稿せよ」と等価であり、受け手がそのまま送り手になる。原画が著作権の切れた古典資料で、誰もが自由に描き直せたことも大きい。行政や企業が後から乗ることで創作の連鎖は社会現象に拡大し、流行語大賞のトップ10にまで届いた。言い伝えの内容と拡散の形式が一致した、稀な事例である。
横断比較件(くだん)との対比で見える予言獣の二つの運命
件(CASE-040)もまた、疫病や災いを予言し、絵を貼ることで除厄になるとされた予言獣で、瓦版を通じて広まった点までアマビエと共通する。大きく違うのは史料の厚みで、件には江戸から戦時中までの同時代史料の連なりがあるのに対し、アマビエは瓦版1枚きりである。それでも2020年に選ばれたのはアマビエだった。3本足とくちばしという描きやすさと、「絵を見せよ」という指示の直接さが、SNS時代の拡散条件に合致したためと考えられる。残り方を決めたのは伝承の古さではなく、広まり方の相性だった。
06出典・参考文献
- Wikipedia「アマビエ」(瓦版の本文、アマビコとの関係、2020年の拡散の経緯)
- 京都大学附属図書館 貴重資料デジタルアーカイブ「肥後国海中の怪(アマビエの図)」(現存する瓦版の画像と書誌情報)
- シンガポール国立大学アジア研究所「Japanese Folk Monsters for Covid Struggle」(厚生労働省のアイコン採用と2020年の広がりの分析)
- 湯本豪一『明治妖怪新聞』(柏書房、1999年)――アマビエ=アマビコ誤記説の出発点となった資料集